眩しい日差しが降り注ぐ晴天の一日。
映画「92歳のパリジェンヌ」を観た。
紅を引き、髪に櫛を入れ、憂いのまじった眼差しで鏡を見つめるバアチャンの姿から物語は幕を開ける。
さて、車を走らせ街を行くバアチャン。
おっと、飛び出してきた自転車を危うく轢きかけるところだった。
しかもギアがうまく入らず渋滞まで引き起こしてしまうではないか。
人々の罵声を浴び、ますます焦るがどうにもならない。
ため息をつきながら彼女は、ノートの「できなくなったことリスト」に「車の運転」を追加するのだった。
今日は彼女の92歳の誕生日。
ひとり暮らしの彼女を祝うべく、家族一同が集う息子の家に招待された。
賑やかな祝いの場をよそに彼女の表情は沈んだままだ。
彼女はためらいがちに立ち上がると、家族を前にある重大な宣言をする。
出来ないことが増え、生活に不便を感じ始めてきた。
そこで、家族の負担になる前にこの世を去りたいのだという。
人生に疲れたのではない。
老いに疲れたというのだ。
何を言うの。
誰も彼女の話に向き合おうとしない。
だって愛する人には、たとえどんな姿になっても生きていて欲しいもの。
尊厳死なんて家族が受け入れられるはずがない。
でもね、助産師としてバリバリ働くかたわら活動家として飛び回っていた彼女にとって、何も出来ない現状は生ける屍も同然だった。
バアチャンは、望みを受け入れてもらえない寂しさを抱えつつも気力の残っているうちにと、生前整理と形見分けの分類に精を出すのだった。
物語は、尊厳死をテーマに、死を望むバアチャンとその家族の戸惑いを見つめるヒューマンドラマ。
母の死を受け入れることが出来ない息子と、母に寄り添い理解しようと努めつつも命を終わらせる罪悪感に苦しむ妹。
このふたりの中年兄妹が対照的に描かれている。
長生きは幸せだと言われる。
でもオムツをし、チューブに繋がれて生きるのが果たして幸せなのだろうか。
優先されるべきは家族の感情ではなく、本人の人生ではないかと物語はいう。
身の回りの出来ないことが増えるばかりか、自分の意思で排泄すらもコントロールできなくなる。
そんな90歳を越えた身体のままならなさや苦しみ、そして去り行こうとする母を見つめる娘の悲しみがひしひしと伝わってくる。
自分だったらどうするだろう。
バアチャンに、そして娘につい自分を重ねてしまう。
観る者の心を揺さぶる素晴らしい一作。
介護を担う人材も少なく、施設を乱立させても老衰の問題は解決できない。
もっと人間らしい安らかな死があってしかるべき。
マルト・ヴィラロンガ、
サンドリーヌ・ボネール、
アントワーヌ・デュレリ、
ジル・コーエン、
グレゴワール・モンタナ、
ザビーネ・パコラ、
ジョナス・ディナル、
ロビー・シナシ、
アルメル、
「少女ファニーと運命の旅」のジュリアーヌ・ルプロー共演。
原題「LA DERNIERE LECON」
2015年 フランス制作。