おかめさんのキネマ手帖

映画の予備知識は限りなくゼロに近いのが理想や。 そう思うてるライトユーザーなオバハンがつぶやく ぼちぼちな映画日記やで。

ラスト・ハーレム

挙動の怪しい台風は去り、再びぎらぎらと強い日差しが戻ってきた。
また建屋のコンクリートが焼け熱を帯びそうだ。

映画「ラスト・ハーレム」を観た。

日もとっぷりと暮れた駅のカフェに佇む若い女。
汽車を待つ彼女は、これから東洋に向かうのだという。
そこへ、老いた女がやってきた。
テーブルに着くと、彼女はおもむろにバッグからシガレットケースとシガレットホルダー、そしてライターを取り出し煙をくゆらせる。
一連の所作はまるで優雅な作法のよう。

その様子をぼんやりと眺める若い女。
やがて二人の女は、どちらからともなくぽつりぽつりと話を始めた。
そんなシーンから物語は幕を開ける。

ここはオペラが催されている小さな劇場。
おや?
観客は正面桟敷に陣取るあごヒゲを蓄えたひとりの男だけではないか。
いや、サイドの格子窓から大勢の女たちも覗いているようだ。

それにしても何という贅沢な観劇だろうか。
それもそのはず。
彼はトルコ皇帝。
そしてここは大勢の美女たちがひしめく後宮なのだ。
若い愛妾たちがキャッキャと共同生活を送る様子は、さながら全寮制の女学校のよう。

そんな後宮の片隅にイタリア人の娘がいた。
8歳で売られ、カイロの闇市で買われたのち皇帝に献上されたらしい。
3ヶ国語が読み書きできるという。

その美貌と才能に目を付けた宦官が彼女に近づきささやく。
後宮では信頼できる友が必要だ。
我々が手を組めば皇帝の子の母になれるぞ。

こうして彼女は後宮ロールモデルに従い、宦官と手を組み皇帝の寵愛を得てゆく。

でもね、ここは愛と権力と恐怖が渦巻く別名 涙の宮殿と呼ばれる後宮
今をときめく人となった彼女に当然のごとく陰謀の手が忍び寄り、身の危険をも感じるようになってきたではないか。

おりしも、都には皇帝に退位を迫る革命軍が近づきつつあった。
内戦か、退位か。
国を揺るがせる不穏な空気が漂う中、彼女は一体どうなってしまうのだろう。

物語は、20世紀初頭のトルコ帝国後宮を舞台に、波乱の運命に翻弄される愛妾の姿を、その栄枯盛衰と共に描いたヒューマンドラマ。

時間軸を前後させながら紡がれるストーリーは老いた女の過去であり、若い女の未来のようでもある。
同時に、侍女が愛妾たちに語り聞かせる創作話でもある。
単なる後宮悲話に留まることなく、過去と現在そして未来が交差する不思議な演出になっている。
また、直接的な表現を避けた、推して知るべしといった手法が観客の想像力を掻きたてる。

愛妾や侍女、あるいは宦官たちにとって後宮とはどういう位置づけだったのだろう。
彼女たちは壁から出ることを許されぬ悲しい囚われの身だったのだろうか。
いやいや、皇帝の所有欲を満たし世継ぎを産むシステムというよりは、むしろ行き場のない娘たちを社会から守る救済手段のひとつだったのではないか。
革命軍によって「解放」された彼女たちが辿る運命を見てふとそう感じた。

ルチア・ボゼ、
あるいは裏切りという名の犬」のヴァレリア・ゴリノ
ココ・アヴァン・シャネル」のマリー・ジラン
セルラ・ユルマズ、
ハルック・ビルギネル、
アレックス・デスカス、
愛と哀しみの果て」のマリック・ボーウェンズ共演。

原題「HAREM SUARE」
1999年 イタリア、フランス、トルコ制作。