おかめさんのキネマ手帖

映画の予備知識は限りなくゼロに近いのが理想や。 そう思うてるライトユーザーなオバハンがつぶやく ぼちぼちな映画日記やで。

木靴の樹

穏やかな晴天の一日。
春の統一地方選を見据えた政党の街宣車が朝から通りを行く。
大阪都構想には大いに賛成だが、庶民の暮らしにあまり関係無さそうな統合型リゾートや万博といった事業は頂けない。
これまで大阪維新一択だったが、今度の選挙は難しい選択になるかも。

映画「木靴の樹」を観た。

時は19世紀末。
ここはイタリア北部ロンバルディア州の田舎町。
ボロボロの長屋に肩を寄せ合うようにして4世帯の小作農家が暮らしている。
この長屋や樹木、一部の家畜は地主の所有で、収穫の2/3が地主のものになるという。

働けど 働けど なお わが生活 楽にならざり・・・そんな啄木の歌を思い出す。
労働の対価に見合っていない、地主だけがボロ儲けのシステムだ。
これを搾取と言わずして何と言うのだろう。
そんな憤慨してしまうような前置きから物語は幕を開ける。

さて、町の教会に小さな息子の就学相談にやってきた小作農家の夫婦がいる。
学校までは6キロの道のり。
もうすぐ3人目が生まれる予定で、子供といえど貴重な労働力の担い手ということもあり夫婦は迷っている。

そんな彼らに神父はいう。
知恵を授けられたこの子は主によって選ばれたのだ。
いずれ一家の希望になるはず。
ぜひ学校にやりなさい。

とはいえ夫婦共に教育を受けておらず、その必要性がよく分からない。
それでも神父さまがそこまで言われるならと、息子を小学校に通わせることにした。

以来、少年は、母親手製の通学カバンを提げ、雨の日も風の日もひとりてくてくと学校へ通う。
読み書きを覚え、親たちが知る由も無い知識を身につけてくる少年を見て、親父は間違っていなかったと確信し、息子を誇らしく思うのだった。

そんなある日のこと。
毎日長い距離を歩いたせいだろう、少年の木靴が真っ二つに割れてしまった。
どうしよう、これでは歩くことままならない。
でも一家には、新しい木靴を買い与える余裕すら無かった。

どうしても息子を学校に通わせたい親父。
そこで闇夜に紛れ道端に立ち並ぶ一本のポプラを切り、木靴を削り出した。

でもね、樹木一本すらも地主のもの。
これが後々どういう事態を招くことになるのか、彼らにはまだ何も分かってはいなかった。

息子を就学させることになった冒頭の一家をはじめ、
農作業のかたわら洗濯屋もこなす寡婦一家、
町の養蚕工場で働く年頃の娘がいる一家、
怠け者の息子と親父のケンカが絶えない一家。
物語は、同じ長屋で共に暮らすこれら4世帯の日常を通して、19世紀における庶民の暮らしを見つめる。

自由主義の波にはまだ遠い田舎町。
教育を受けていない小作人たちは地主の搾取に何ら疑問を持つこともなく、底が硬く歩きづらい木靴を履き農作業に精を出す。
貧しい人は天国に近いという神の教えは、庶民に不満を持たせないための為政者に都合のよい洗脳のように思えて仕方がない。
天候や病気、些細な出費で破綻してしまう危うい綱渡りのような彼らの日々を、共に喜びや哀しみを分かち合いながらじっと見守る。

非正規労働者を安く使い捨てる一方で、カネのある投資家だけがぶくぶくと肥え太ってゆく。
多少豊かになったかもしれないが、この社会構造は現代もさほど変わっていないように思う。

3時間にも及ぶ大作だが開幕からぐっと惹き込まれる。
当時の庶民の文化や暮らしぶりに触れる貴重な一作。

ルイジ・オルナーギ
フランチェスカ・モリッジ
オマール・ブリニョッリ
テレサブレシアニニ
ジュゼッペ・ブリニョーリ
ルチア・ペツォーリ
フランコ・ピレンガ共演。

原題「L'ALBERO DEGLI ZOCCOLI」
1978年 イタリア制作。